暇ということは

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避難する暇がなく―― といった表現での「暇」という文字がどうもしっくりこなくて、検索してみるとけっこう使われてるひょうげんなのだなあ、というのが分かりました。

この表現における、「ひま」についてはYahoo!の辞書によれば、1のような意味合いでのつかわれかたのように見受けられます。

Yahoo!辞書 – ひま【暇/閑】 <http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E3%81%B2%E3%81%BE&enc=UTF-8&stype=1&dtype=0>

継続する動作などの合間に生じるわずかの時間。「食事をする―もない」「―を見て外出する」

ちょっとみていきたいとおもうんですが、災害にあわれたかたが、『避難する暇がなくて○○』という言い回しをされるのにはいいのですけれども、これを当事者でないかたが、『避難する暇もなかったのでしょうか?』と訊ねるのにはちょっと個人的には抵抗があります。なにか傍から見れば、災難を回避できたのでないか、といった観念があっての質問のようにみえてしまうのです。

どちらかというと、「ひま」という語のイメージが、『暇にしているならば、○○しなさい』のような使われ方のイメージが強いためなのか、先の例の言い回しはむしろ、『避難している暇があるのならば、救助の応援を願いたい』のような使われ方のような気がしないでもないです。これも更に不自然ですが。

災害という非常事態において、「ひま」という時間の単位を用いていること自体がなにかその違和感につながっているのでないかなと感じています。