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竜安寺の有名な蹲(つくばい)です。だいぶ前に訪れたとき撮ったものです。
吾が唯足るを知る とでも読むのでしょうか。
蹲の中央の水が溜まっているところが、水でいっぱいになっています。
これはつくばいが水で満たされている状態をあらわしているわけです。
このことから、どうよみとりますか?あなたは
自分なりの解釈ですけど。
自分が足りていることを知りなさい。
満足するということを認識しないといけない。
「貪欲に」といった考え方もありますが、欲があるということを言い換えると、それは満たされた状態でない、ということになります。 どんなに不自由のない生活を送っていても、不安や悩みがあったら、そのひとは幸福であるといえないと思います。
ここでいう、満足は妥協ではなくて、極端にいうとそれが「さとり」の境智に通じるものなのでないかと考えます。